火曜日, 2月 01, 2011

沖縄の旅

   先週末金曜日から今週月曜日にかけて沖縄の旅をしてきた。
   ほぼ、午後一番に那覇空港へ到着。曇り空で週間天気予報のとおり気温も高くない。すぐタクシーで那覇市国場へ向かう。

   3泊4日の行程で昼ごはんは店は違うものの(沖縄)そばを4食。地元の人達が行っている店ばかりで、3日目は南城市でもずくそばを食す。どこにある店なのかわからないが、私の好みは4日目の店のそば。

   1月30日(日)に時間を作り完全観光日とした。
  「新しい首里城に行ったことがないなら、行かなきゃ。」とのコメントで午前中は地元の人と同乗して首里城に向かう。首里城の駐車場は「わ」ナンバーのレン タカーばかりで、地元の人の車で駐車場に入るとき、係の人から驚かれた経緯がある。改修前の守礼の門に行ったことがあるが、今回はその際の逆のルートを通 り守礼の門を通る。いくつかの門を通り、大きな岩石で築かれたまったく隙間のない城壁に驚く。
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   首里城一番の目玉である正殿内、王朝時代からの宝物や工芸品を閲覧し、入った門と違う門から一度出たのだが、地元の人に「京の内は行ったことある?」と の問いに、一道入ったことがないことを伝えると、「それじゃ、美人をおがみにいこうかねぇ」とのコメント。また、正殿前広場まで戻り、正殿右手城壁内にあ る「京の内」へ入る。
   ここは「のろ」と呼ばれる王朝を代表する祈祷師の住処だった場所とのことで、現在では植栽を多く配置された植物公園のような佇まいになっている。正殿広 場などは多くの観光客で賑わっているが、京の内は2組の人たちにすれ違っただけで閑散としている。現在では展望台となっている「西のアザナ」より、首里市 内の町並みの様子が一望できる。同行した地元の人が王朝時代の高官の末裔で現在でも首里に住んでいる人で、さすがに首里や王朝のことに詳しく、ツアコンの 人たちより広く深い情報をおしえてくれたのではないかと感じた。

   駐車場に戻り、昼ごはんは同行者の希望でもずくそばを南城市に向かう。私が希望した斎場御 嶽、久高島行きフェリー乗り場より車で20分程離れた場所にある。一同もずくそば、もずくの天ぷらともれなく付いてくるジューシー(炊き込みご飯)を食べ ながら歓談し、くつろぐ。食べ終わり、ゆったりしていて久高島へ向かうフェリー時間まで30分程になってもくつろいでいる。「おかしいなぁー」と思うが、 地元の人のペースに任せて、フェリー乗り場に向けて食堂を出発。
   向かう途中、「久高島に行く前に斎場御嶽に行くんだったっけ?」の問いに、「やっぱり?」と私。そう、他の3人は久高島のことばかり頭にあり、斎場御嶽の事は完全に失念している。時間がないので二者択一状態になり、斎場御嶽を選択。久高島は次の機会になった。
   斎場御嶽は既に観光地になり駐車場も整備されている。下車後、20才前半頃と思われる若者を確認したものだから、少しがっかり。
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   最近のパワースポットブームの地と変化している。地元の人が「若者は来ちゃいかんだろう」とつぶやく。私も同意。
   久高島が開祖「オマミキヨ」が降り立った島であるなら、斎場御嶽は沖縄本島最高の聖地である。この斎場御嶽内の祭場から久高島が見れる事などからこの二箇所は対の聖地なのだろう。最近まで男性は入ってはいけなかったらしく、地元の人も初めてきたのはわずか10年ほど前らしい。彼が若い時に斎場御嶽に 行くと親に伝えたら激しく反対されたと昔話をしてくれた。

   念願の斎場御嶽をあとにして、ニライカナイ橋を右手に見ながら「平和の礎」へ向かう。修学旅行や年配者の団体客が多い。突端まで行き眼下の海を眺めながら黙祷。帰り際、「上に行ってみる?」の問いの意味をしらないままついて行く。恥 ずかしいことに知らなかったけれど、平和の礎の上にある高台に昔から戦没者を弔う沖縄戦没墓園がある。そのほとんどが、全国の県毎に区画され独自のデザイ ンで出身地の戦没者を弔っている。その他、郵政省等の団体ごとの区画もある。

   夜はもちろん、沖縄料理と島酒を楽しんだ。3日とも店こそ違ったが同じスタイルの食事を楽しめた。特に2日目のラフテーは驚くほど美味しく、もう一回食べてみたいと感じさせる味であった。
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